ガリレオ最大の功績
- 2020.03.13
イタリアのピサ郊外に生まれたガリレオ・ガリレイ(1564~1642)は、近代物理学・近代天文学・近代科学の父と呼ばれています。
その業績を少し挙げてみるだけでも、複合顕微鏡の発見、木星の衛生発見、世界初の振り子時計の設計、宇宙を詳細に見ることのできる望遠鏡の発明など、枚挙に暇がありません。
ガリレオの科学実験は近代の科学的手法の基礎を築き、彼が唱えた慣性という考えは、アイザック・ニュートンが運動法則を導き出す直接のきっかけとなりました。
しかし、なんと言ってもガリレオ最大の功績は、ルネサンス時代のローマ・カトリック教会に抵抗したことだと言えるでしょう。
当時、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)が提唱した「太陽の周りを地球や惑星が回っている」という地動説を教えることは、教会への反逆行為と見なされていました。
教会は、聖書を文字通り解釈して、太陽と惑星が地球の周りを回っているという天動説を承認していたからです。
地球が宇宙の中心と考えていたわけです。
ガリレオは自著「天文対話」で、最新の望遠鏡で実施した観測結果を使ってコペルニクスを擁護しました。
このことから、異端審問が開かれ、当時69歳のガリレオは著書を発禁処分とされ、ローマの審問所へ出頭するように命じられました。
審問の結果、教会の教義に逆らったとして有罪となり、終身刑を言い渡されました。
その後、自宅監禁に減刑されましたが、異端審問所の役人が監視する中、フィレンツェ郊外の自宅で9年後に亡くなりました。
当時のイタリアではカトリック教会の力が強く、異端審問後、ガリレオは地動説を捨てなくてはなりませんでしたが、ドイツではガリレオの研究をケプラーが事実上引き継いでいきました。
ガリレオの異端審問はその後何世紀にもわたってバチカンのしこりとなり、ガリレオに対する有罪判決は知的自由を求める啓蒙運動を推進し、それがのちのアメリカ合衆国憲法や国連の世界人権宣言につながったと考えられています。
ガリレオの異端審問から359年後の1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオの勇気ある行動を認め、教会が彼を罰したことを公式に謝罪しました。
誰もが思ったことでしょう、おせーよ。
ニュートンが17世紀後半に慣性を定式化することにより、地動説はすべての疑問に答え、かつ、惑星の位置の計算によってもその正しさを証明できる学説となりましたが、約100年ものあいだ宗教によって、つまり、何の根拠もなく天文学は停滞していたことになります。
今では多くの惑星の1つであることが知られる地球を幸福な場所にしたのは、異端審問官よりもガリレオのほうなのは明らかです。