ソクラテスの死刑理由
- 2020.03.24
ソクラテスは、公式には次のような理由でアテナイ政府から、死刑を言い渡されたことになっています。
「ソクラテスは、国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめ罪科を犯している。」
ところが、ソクラテスの弟子クセノポンの著書「ソクラテスの思い出」によると実際には次のような理由だったと記述されています。
市井で若者たちをつかまえては議論をふっかけるソクラテスには、沢山の弟子がいました。
ソクラテスは、いかなる意味でも、国家転覆を説いた訳ではなく、むしろ、自制と節制と勇気を説いていました。
そのような多数の弟子の中に、クリティアスとアルキビアデスがいました。
クリティアスとアルキビアテスは、ソクラテスとともにあるときは、師匠の教えを守り、節度ある暮らしをしていました。
そんな時、クリティアスは、エウテュデモスという美貌の青年を誘惑し、その様が、あまりに下品だったので、ソクラテスは、クリティアスを非難しました。
このソクラテスの非難がクリティアスを激怒させました。
その頃、ソクラテスにとって運が悪いことに、クリティアスは、三十人政権の一人となって、アテナイの実権を握ります。
ソクラテスへの復讐に燃えたクリティアスは、法律の中に、「言葉の技術を教うるを禁ず。」という一項を入れました。
これはあまりに曖昧な構成要件で、いかなる学者にも適用可能なものでした。
実際に、この条項を適用して、クリティアスたちは、人品卑しからぬ多くのアテナイ市民を死刑にしました。
ソクラテスは沈黙を保てばいいものを、「国家の指導者が、自国の臣民の数を減少させて、それを恥ともなんとも思わず、自分が低劣な指導者であると認めないとしたら、いよいよ奇妙な話である。」と言ってしまったものだから、三十人政権に喧嘩を売ることになってしまいました。
こうして、ソクラテスは、三十人政権に呼び出されて、尋問を受け、そこでいろいろとやりとりもありましたが、ソクラテス死刑の結論は出ていたというべきでしょう。
ソクラテスは毒舌として知られていますが、彼のように勇気を持って批判することは実に難しいものです。
ましてや、自分の命が懸かっていれば尚の事です。
しかし、彼は自分の考えに従って闘ったからこそ、後世に至るまで偉大な哲学者として、記憶されることになったのではないでしょうか。
ちなみに、アテナイの三十人政権はたったの1年程で崩壊しています。
三十人政権が如何に理不尽な運営を行っていたかは推して知るべしでしょう。
記憶に残るのは権力者ではなく、正しく闘った人間だと、日本の権力者にも考えて貰いたいものです。