ペストとその背景
- 2020.01.21
1347年から1350年に大流行したペストは、後に黒死病と呼ばれ、この短期間にヨーロッパの人口の3分の1が命を落としました。
アジアで発生したペストは伝染力の極めて高い細菌性の病気と考えられており、猛烈な勢いで広まりました。
衛生状態の悪い中世ヨーロッパの諸都市では、患者は嘔吐、下痢、皮膚が黒くなるといった症状が現れてから、わずか数日で命を落としました。
多くの都市では、ペストは多数の人命を奪ったのみならず、法と秩序も破壊し、文明そのものを壊滅の瀬戸際に追いやりました。
作家ジョヴァンニ・ボッカッチョは、ペスト流行時に書いた小説「デカメロン」で、フィレンツェがペストによってどうなったかを次のように描写しています。
「私たちの都市を襲った悲惨な大厄災の中で、法の権威は、人間の法であろうと神の法であろうと、ほとんど全て消え去りました。それというのも、聖職者も、法を執行すべき者も、他の人間と同じく、死んでしまったり、病気になったり、さもなければ家族と一緒に閉じこもってしまったりしたので、どんな職務も実行されなくなったからです。もう誰もがやりたい放題でした。」
ペストがヨーロッパ社会に与えた影響は深刻でした。
キリスト教徒の多くは、病気はユダヤ人のせいだと激怒し、ペストが去った後、各地で起こったユダヤ人の虐殺は史上最悪レベルのユダヤ人迫害事件となりました。
神がペストのような惨たらしい病を放置するはずがないという考えから、多くの信者がカトリック教会の教えに疑問を抱くようにもなりました。
そしてキリスト教にも色々な分派が現れ、よりハードコアに聖書を解釈したり、単に享楽的なものが現れました。
その結果、中世の封建的な秩序を壊し、ルネサンスへの道を開くことに繋がりました。
さて、このペストがどういった病気だったのかは色々な記述があるのですが、現在もペストの正体については議論が交わされています。
一説には「腺ペスト」ではないか、と言われています。
「腺ペスト」は現在も撲滅されていませんが、抗生物質で簡単に治療することができますのでご安心を。
ペストの後、ヨーロッパの人口が1347年以前のレベルに戻るまで400年を要したとも言われています。
17世紀~18世紀にかけても、断続的に流行したとも言われていますが、天然痘だったとする説もあります。
文明を破壊するレベルの病気の流行がルネサンスがはじまる一因というのはなんとも皮肉なものです。