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アメリカ史上最も有名な冤罪事件

2020.03.11

アメリカ史上最も有名な冤罪事件

1919年、1件目の強盗事件。
製靴工場の現金輸送車が襲撃されたが失敗に終わる。

1920年4月15日、2件目の強盗事件。
マサチューセッツ州サウス・ブレインツリーの製靴工場が5人組のギャングに襲撃され、給料1万6千ドルが奪われ、その際に会計主任のフレデリック・バーメンターと警備員アレッサンドロ・ベラルデッリが射殺された、という事件です。

捜査上に目撃者が50人以上いたにも関わらず、証言がまちまちで「イタリア人」という以外に共通点はなかったとされています。

その後、容疑者としてフェルーチオ・コアッチとマイク・ボダの名が浮上します。
コアッチとボダはアナーキストの活動家で、国外追放処分の決定を下された人物でした。
ボダが所有する車が修理に出されていることが判明したため、警察は誰かが引き取りに来た際は必ず通報するようにと修理工場の主人に云い渡していました。

この車を引き取りに来たのが4人の男、コアッチとボダ、そしてイタリア移民の製靴工ニコラ・サッコと魚行商人バルトロメオ・ヴァンゼッティでした。

ボダはイタリアに逃亡し、コアッチは逮捕されましたが、怪しい物を何も所持していなかったために国外追放となり、当初の容疑者は事件から姿を消します。

そして、容疑者として目を向けられ逮捕されたのが、サッコとヴァンゼッティでした。

逮捕・起訴の理由は、襲撃に使用された(かもしれない)車を取りに来たのがイタリア人の4人組だったことと4人共にアナーキスト(共産主義)の活動家だったことで、事件と直接の関わりがあったかは今も謎のままです。

逮捕後、「そのつたない英語は信用性に乏しい」と断じられ、目撃者が2人を犯人と断定できないにも拘わらず検事は強引に2人を起訴し、サッコとヴァンゼッティに死刑判決を下します。

要するに、物的証拠がなく状況証拠もかなり薄い状態で、「イタリア人」、「アナーキスト」「疑わしい」ということのみで死刑判決が下ったのです。

有罪判決から3ヵ月後、公正さに欠ける審理に抗議する動きがボストンに留まらず、ニューヨークをはじめアメリカ国内各地で、更にヨーロッパをはじめ世界各地で起こったため、死刑は確定していたものの執行は長く延期となっていました。

しかし、弁護側の裁判やり直しの申し立てはことごとく却下され、マサチューセッツ州知事も特赦を拒否し、1927年8月23日、サッコとヴァンゼッティは電気椅子により処刑されました。

勿論、サッコとヴァンゼッティが犯人ではないと言い切ることはできませんが、著しく公正ではない裁判だったことは間違いありません。

「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟の原則が守られなかった訳です。

被告人が有罪であることを合理的に検察側が証明することができなければ、裁判所は被告人に対して有罪宣告をしてはならない、はずですが、後にサッコ・ヴァンゼッティ事件の調査をおこなった行政側は冤罪だと認定しましたが、司法側は現在も冤罪を認めていません。

サッコ・ヴァンゼッティ事件を扱った映画として「死刑台のメロディ」が有名です。

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