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デカルトにみる懐疑論

2020.03.17

デカルトにみる懐疑論

あなたはコンピューター・シミュレーションの中で生きているのではありませんか?
どうして違うと分かるのですか?
確かにあなたは、本物の紙でできた本物の本を持っているかも知れません。
しかし、それはコンピューターがあなたに本物の紙でできた本物の本を持っているように思え、と命じているからではないとどうして分かるのです?
この世界についてのあなたの知識と経験が、どれも信じるに値するものだとどうして分かるのです?

こうしたジレンマを、外界についての懐疑論と言います。

一般的に懐疑論とは、厳密に証明されていない知識体系に対して私たちが抱いている確信を覆すために行われる哲学的議論または主張のことを指します。

懐疑論者とは、懐疑論的な議論を使って私たちの常識を覆そうとする人のことを言います。

古くはルネ・デカルトやイマヌエル・カント、現在ならニック・ボストロムあたりが代表格と言えるでしょう。

デカルトは、「私が考えていることは疑いようがないのだから、私(の精神)が存在していることは疑いようがない」と著書「省察」で有名な言葉を残しています。

デカルトは、自分の根源的な存在は疑えないと結論づける一方で、肉体のありさまは疑うことができると考えていました。

自分に考える能力があることに議論の余地はないが、物質としての肉体の存在は疑うことができるのだから、精神と肉体は別のものだ、と主張しました。

デカルトは、肉体は物理学によって説明されると思っていました。
彼にとって肉体は、大きさと形と速度を持って運動する幾何学的な存在でした。

それに対して精神は、非物質的な考える存在だと思っていました。
そのため動物は、デカルトからすると機械と同じもので、動物は考えない(と彼は思っていました)のだから、精神を持っておらず、運動する部分が複雑に組み合わさっただけのものに違いないと考えていました。

かなり極端な考え方だと思われる方も多いと思います。
しかし、脳が考え、肉体に司令を出しているだけなら、現在のコンピューターも私たち人間と同じ機能を有していることになります。

意識とは、精神とは何なのか、存在すると言えるものなのか。
こういった根源的な問いはデカルトのころから何も変わっておらず、今尚、懐疑論のままなのです。

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