もっとも多くの犠牲者を出した「人食いトラ」
- 2023.02.14
普通、野生動物は人間だけを好んで襲うことはありません。
しかし、腹ペコだったり、何かの理由で野生動物を捕らえられなくなったりすると、仕方なく人間を標的にすることもあり、「人食い〇〇」と呼ばれることがあります。
いわゆる「人食いライオン」として、もっとも有名なのは1898年に、イギリス領東アフリカ(現ケニア)のツァボ川付近に現われた2頭のオスライオンでしょう。「ツァボの人食いライオン」と恐れられ、射殺されるまでの約10か月の間に2人の労働者が犠牲になりました。
しかし、このライオンをはるかに上回る犠牲者を出したのが、通称「チャンパーワットの人食いトラ」です。
初めはネパールに現れたこのトラ。
ジャングルで待ち伏せして人を襲い、犠牲者を出し続けました。
犠牲者が200人を超えて、ネパール政府は国軍を投入。
射殺はできませんでしたが、国境から追い出すことに成功します。
国境の川を渡ってインドに入ったトラは、ここでも犠牲者を増やしていきましたが、1907年、ついに「チャンパーワット」という町で、イギリスのハンター、ジム・コルベットによって射殺されたのでした。
このトラによる犠牲者は、把握されているだけでも436人。
世界一犠牲者を出した人食いトラとしてギネスブックにも収録されています。