ざっくりパブロ・ピカソの歩み
- 2023.06.01
芸術家パブロ・ピカソ(1881~1973)が亡くなった翌日、新聞『ニューヨーク・タイムズ』は、こう断言しました。
「パブロ・ピカソは、今世紀の最初の4分の3における視覚芸術において、間違いなく最も独創的で、最も多才で、最も力に満ちた人物であり続けている」
それから40年以上たった今日も、この評価は変わりません。
スペインに生まれたピカソは、絵画が最も有名ですが、それだけでなく、デッサン、リトグラフ、エッチング、彫像、陶芸品、モザイク画、壁画も制作しています。
19世紀の偉大な芸術家の大半とは異なり、ピカソは特定の芸術運動やジャンルにとどまることはありませんでした。
むしろ、常に自力で新たなスタイルを生み出し、探り、発展させ続けていました。
彼の最も重要な業績のひとつは、美と醜の違いを曖昧にした(あるいは、ときには、その違いを破壊した)ことだったと言われます。
彼は、ジョルジュ・ブラック(1882~1963)とともに、1907年ごろにキュビスム(立体派)を創始したひとりと考えられています。
キュビスムとは、対象を複数の視点から描いて、伝統的な透視図法では表されない情報も表現する芸術運動で、それによってルネサンス以来の伝統を打ち破りました。
ピカソにとってキュビスムへの転換点となったと考えられた最初の主要な作品が『アヴィニョンの娘たち』(1907年)で、この作品では、美、解剖学的構造、透視図法といった伝統的な概念が破壊されています。
その後も作品にさまざまな様式を取り入れていきますが、そのひとつシュルレアリズムに少なくとも部分的に触発されて描かれたのが、最大の傑作『ゲルニカ』(1937年)でしょう。
349センチ×777センチのキャンバスに描かれた油彩画である『ゲルニカ』は、抽象的な形態の人物たちが苦しむ様子を表現しています。
この作品は、スペイン内戦中にドイツ空軍が実施したスペインの都市ゲルニカへの空爆に対してピカソが制作したものです。
ピカソは80歳を過ぎてもなおパワフルで多くの作品を生み出していました。
彼が制作した絵画は、一説によると6000点以上あり、その大半を死ぬまで手元に置いていたといいます。
88歳だった1969年だけでも、絵画を165点、デッサンを45点、制作しています。
享年91歳、大往生でした。