古代ギリシア七賢人のひとり、ソロン
- 2023.06.02
古代ギリシア七賢人のひとりとして知られるソロン(前640頃~前560頃)は、政治家で軍の指揮者でもありました。
古代アテネの政治改革を行い、世界最古の民主政治の基礎を形作った人物です。
ソロンは貴族の家系に生まれました。
サラミス島の統治をめぐってアテネと対立していた都市国家メガラへの軍事作戦を成功させて、司令官としての名声を得ます。
古代の歴史家プルタルコス(46頃~120頃)によると、ソロンは紀元前594年に立法者に選出されています。
ソロンが立法者となった当時の政府のシステムは、先任の立法者ドラコンが作ったものでした。
厳しいことで有名なドラコンの法律は、例えば怠慢や、果樹園から果物を盗むなど、軽微な犯罪でも死罪としていました。
ソロンは法律を見直し、ほぼすべての犯罪に対する刑罰を軽くしました。
また、政治改革を行い、より多くの政治的権限を貴族から一般市民へ移しました。
ソロンが目指したのは、都市国家アテネの政治に関与しているという気持ちを全市民に持たせて、アテネにエウノミア(秩序)を回復させることでした。
この改革で、ソロンは訴訟の権利や陪審員になる権利を一般市民に与えました。
また、四百人評議会という、代表による評議会を設置しました。
この評議会は、民主主義の集会の祖先といえるものです。
2年の任期終了後、ソロンはアテネを去り、地中海地域を10年間ほど旅しました(アテネの人々がソロンに、彼の制定した法律の撤廃を働きかけることのないように、というのがその表向きの理由でした)。
しかし、晩年にアテネに戻ったソロンは、自らの改革のほとんどが効力を失っていることを知って愕然としました。
ソロンの改革は数年しか効力を持たなかったものの、ギリシアにおける立憲制度を民主化する第一歩となったのは確かです。
ソロンが死去してからはるかあとの紀元前508年、アテネの貴族であるクレイステネス(前570頃~前508頃)が政治権力を握り、ソロンの立法を基に民主主義政府を打ち立てました。
これによって、アテネの文化や哲学、軍事力は以前にないほどの繁栄を見ることになるのです。